COOKING 「炉窯で肉を焼くということ」
ヒトによる火の使用の起源については様々な説があるが、イスラエルのゲシャー遺跡における79万年前から69万年前の痕跡が現時点では確実と呼べる証拠の中で最古のものと考えられている。 火の使用によりヒトは肉を加熱調理し、動物性タンパク質の摂取を容易にした。加熱調理された肉の消化に必要なエネルギーは生肉の状態よりも少なく、加熱調理はコラーゲンのゼラチン化を助け、炭水化物の結合を緩めて吸収しやすくし、更には病原となる寄生虫や細菌を減少させた。
しかし火の使用による変化はそれだけではないだろう。
加熱調理されることにより、肉の香ばしさや芳醇な肉汁、旨みは飛躍的に向上する。ヒトは生命の維持を目的として肉を食べることに加えて喜びを感じるために肉を食べるようになったのではないか、と想像してしまう。
ヒトによる火の使用の起源から気の遠くなるような時間をかけ、人は肉を最高の嗜好品へと押し上げた。
それは素材そのものの進化は勿論、火入れについても同じだろう。熱源はガスや炭、薪といった具合に多岐に渡り、道具も網や鉄板、炉窯等、こちらも多岐に渡っている。どうやって食べるのが一番と言うのは難しい。その時の肉の状態や部位によって違うだろうし、勿論好みの問題もある。
そんな火入れ方法の中から、今回は炉窯による火入れについて考察してみたい。
一般的に炉窯とは、熱を逃がさないように熱源(主に炭火)を耐火レンガ等で囲いがしてある焼き台のことである。炉窯の特徴はガスや電気に比べて高温になる炭の直火(対流熱)や遠赤外線による輻射熱、そしてレンガの蓄熱による対流熱や輻射熱によって、炉内内全体を高温に保ちオーブンのような状態にすることで、肉に対して高温かつ均一な火入れが可能になることと思われる。
そして数ある炉窯使用店の中から、銀座の名店「トロワフレーシュ」の料理長である橋山さん(以下、H)にCBO(以下、C)がお話をうかがってきた。
「トロワフレーシュ」は、日本一のステーキとも呼ばれる「あら皮」から独立したお店で、長期肥育で味の乗った雌の黒毛和牛や短角牛をあら皮同様に炉窯で火入れをする、銀座を代表するステーキ店である。
かくいう私も素材のポテンシャルを最高潮まで高めた「トロワフレーシュ」のステーキの虜になっており、初めてのそのステーキを口にした時の驚きは今でも鮮明に記憶に残っている。
以下インタビューの模様をご覧いただきたい。
C)よろしくお願いします。最初にトロワフレーシュで働く前のバックグランドを教えてもらえないでしょうか。
H)元々はフレンチで働いていました。それ以外にもマーケティングをやっていたりもしました。また、お肉は焼いていませんがドンナチュールで働いていたこともあります。
C)個人的に炉窯による火入れは他では真似できない魅力があると思うのですが、炉窯のメリットとは何でしょうか?
H)まず、炭焼きでありながら所謂オーブンの機能を兼ね備えているところですね。それと炭焼きですと、煙がお店の中に充満するという問題点がありますが、炉窯ですとそういったこともほぼクリアできることです。
C)ガスに比べて炭焼きというのは温度が高く、パリッとした表面の焼き上がりも魅力ですよね。
H)そうですね。表面だけではなく内部への熱の入り方も魅力的ですね。そして炭焼き特有の薫香というか香りがやはりいいですね。私はこれらのメリットを感じていますが、実際は炉窯それぞれに個性があるようです。
C)一口に炉窯と言っていますが、それぞれに違いがあるんですか!?興味深いですね。
H) それはレストランのスチームコンベクションやオーブンも同じで、全てが均一というわけではなく個性というものがあります。
C)炉窯で焼く場合は炭も大事だと思うのですが、炭はどんな物を使用しているのですか?
H) ウバメガシですね。
C)先程は実際に炉窯でステーキを焼いているところを見せていただきました。炉窯での焼き方には段階があるようなんですが、それを教えていただけないでしょうか。
H) これは私もまだまだ模索しているのですが、スタンダードなことを説明させていただきます。まずは常温で分厚い肉の温度をある程度戻し、塩と胡椒を振り串を刺します。そして、いかっている炭の上のスレスレのところで両面に焼き色をつけます。
C)焦げてしまうのではないか、と心配になるほどスレスレにしていましたが、よく焦げませんね。
H)あれだけ近いので、炭の太さを全てそろえて表面が平らになるようにしています。太さが違うと、肉との距離が違ってくるので、それだけで焼きムラができて焦げてしまいます。それと炭の間の隙間を空けないことです。炉窯の中ではちゃんと空気が流れるんです。また炉窯の特徴として吸気をコントロールできることもあり、あれほどスレスレでも焦げないんです。そして焼き色が付いたら炭から遠ざけて遠赤外線とオーブンのような機能を利用してゆっくり火を入れていきます。ガスを使用した150℃のオーブンに温まった肉を入れるとすぐに火が入ってしまうのですが、炉窯ではすぐには火が入りません。実際に炉窯の中の温度を計ったことはありませんが、おそらく150℃より低いのでしょうね。
C)それは意外ですね。かなりの高温だと思い込んでました。肉の部位や牛の種類で焼き方を変えたりはするんですか?
H)先程模索しているとお話しましたが、それを今も色々と模索している最中です。
C)私は焼肉に行くことが多いのですが、お肉を焼く時は理想の焼き上がり、つまり自分が食べたい姿をイメージして、常にそれに近づけように意識して焼いています。橋山さんにとっての理想的な焼き上がりとはどんな感じでしょうか?
H)やはりよく言われますが、紙1枚のパリッとした表面、でも中はしっとりとした焼き上がりですよね。ですが、これは黒毛と黒毛以外、ヒレとサーロインでも違ってきます。ステーキですのでお客様から焼き加減をおうかがいしますが、本当であれば任せていただいた方が良い状態で召し上がれる場合が多いと思います。例えば黒毛のサーロインだと理想的な焼き上がりはミディアムレアではないと思うんです。もう少し熱を入れた方が噛み締めた時の美味しさが出ると思うんです。また同じヒレでも端のテートとシャトーブリアンで違ってきますね。
C)脂の入り具合でも変わってくるんですね。
H)短角牛は非常に個体差があるので、それを考慮して焼き加減を調整しています。昔のトロワフレーシュでは行っていませんでしたが、今は脂の少ない短角牛を焼く場合、お肉の表面に油を塗っています。こうすることで表面がパサつかず、表面の焼き上がりに差が出てきます。
C)以前は行っていなかったということですが、そういったアイデアはどこから得るんですか?
H)フレンチなどの経験が活きています。今一番考えているのはヒレですね。ヒレの熱の入れ方というものが本当にこれでいいのか、と考えています。 ヒレの場合、炉窯の中に長く入れるんですが、焼き付けてしまわずにまず全体の温度を上げる。そして焼き色を片面付けたら離す、もう片面付けたら離す、といった感じでゆっくりゆっくり表面にストレスを与えずに火を入れていってあげた方があうのではないかと考えています。たぶん答えは出ないとは思うんですけど(笑)。
C)ヒレの火入れについては、私が常々考えている理想形と重なります。しかしサーロインとヒレの火入れはやはり違いますよね。
H)本当に違いますね。明らかに肉の繊維がサーロインの方が粗いですけどヒレは本当に繊細なんで、火の入れ方もかなり考えなくてはいけないんです。今まで言われてきたものが本当に答えなのかどうか、確かめて考えなくてはいけないと思うんです。
C)確かにそうですね。
H)例えば塩を振るタイミングですが、先に塩を振ってはいけないという説もあります。焼く直前に塩を振る場合、塩がお肉に馴染んでないので振る量も増えますし、炉窯に入れた時に塩が焦げてしまうんです。そして、あれぐらい厚い肉なので中まで塩が入っていかないんです。では先に塩を振るとドリップするかというとそんなことはないんです。また最初に焼き付けて旨みを閉じ込めると言われていますが、最初に焼き付けなくても黒毛というのはドリップしないんですよ。
C)状態良いお肉は簡単にドリップなんてしませんよね。塩を振るタイミングであるとか、最初に表面を焼き固めるであるとか、さらに焼肉であれば肉を網に乗せたら触ってはいけないだとか、昔から言われてきたことは色々とあります。それは今ほど肉の流通・保存状態が良くない時代であればその通りかもっしれないんでしょうが、今みたいに状態の良いお肉が食べれる時代だとそこは疑わないといけないのかなと思います。
H)そうですね。トロワフレーシュではそれを覆すようなことばかりしています。そして結果が悪いかというとそんなことはないですからね。
C)はい、素晴らしいステーキです。
H)それでもまだまだ研究の余地はあると思います。最近であれば今日食べた頂いたようなフランスの肉も手に入るようになりました。そしてフォアグラやフランスの鴨も炉窯で焼くことがあります。以前フレンチで働いていた時にはフライパンとオーブンで散々鴨を焼いてきましたが、炉窯での焼き上がりは全然違います。まだまだ炉窯では色々なことができると思います。
C)奥が深いですね。
H)炉窯の扱いは人によっても違ってきますし、その人が感じたものがステーキに出ますね。炉窯は超アナログですから。
C)それも炉窯の楽しさの一つなんですね。確かに炉窯を使ったステーキ屋さんにも色々行っていますがどこも全然違います。しょっちゅう行けるものではないですが、そういった違いを楽しむのもいいですね。
H)そうですね(笑)。そして炉窯を扱うにあたっては、常に自分で焼いた肉を食べみないとダメですね。
C)本当に自分のやり方がいいのかどうかを確認するには、自分で食べるしかないですよね。羨ましい仕事です(笑)。それでは本日はお忙しいところありがとうございました。
炉窯によって、しかも最高の技術で焼かれた黒毛和牛を食べるということは、肉好きにとっての一つの到達点ではないかと思う。決して安くはないが、支払った金額に見合う以上の価値を体験できるお店が存在する。そして、そんな体験が出来るお店があるのは、世界広しといえども日本だけだろう。
日本人で良かった。